いささかしつこいとは思うが,「呼ぶと来る」のと,「呼べば来る」のとの違いについて考察しておきたい。「呼ぶと来る」というばあいは,むろん,呼ばれたことを理解できてはいるのだが,呼ばれないかぎりは来る意思がないということの表現のように思える。だから「呼ばれなくても来るわよ」という反論も生じてくる。「呼ぶと来る」という表現のなかには,主体の側の意思のみが主張されていて,受け手はまったく受動的な感じを与える。だから,「カメ」はもっと能動的な面をもっているという修正意見が出されるのである。ところが,「呼べば来る」という表現の方は,「カメ」による状況判断を含んでおり,主体の側の意思のみでなく,受け手である「カメ」の能動的意思もあらわされているように思う。いつでもいく気はあるのだが,そちらの都合も考えて待機しているのだという気分が,「呼べば」への反応に含まれているのではなかろうか。
中村陽吉 (1991). 呼べばくる亀:亀,心理学者に出会う 誠信書房 pp.152
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