5つのパターンが現れたことは意外ではなかった。ボナノが驚いたのは,グループ間の相対的な分布状況だった。フロイト派が正しければ,死別を経験したのに悲しみを乗り越える作業を行わずにいると必ず機能障害に陥るはずだ。ところが,調査対象者のうち,慢性的な悲しみや抑うつ状態によって衰弱したのはわずか25パーセントだった。また,先延ばしされた悲しみの兆候はごく一部にしか認められず(3.9パーセント),統計数値としてはとるに足らないものだった。残りのコホート(何らかの共通因子をもち,長期的に追跡調査を行う対象とされる集団)のうち,悲しみに暮れた人々の20パーセントは自然と回復し,45.9パーセントには衰弱を伴うほどの悲しみはまったく見られなかった。これは全体の半数近くであり,ボナノはこのグループをレジりエントと名づけた。
繰り返しになるが,ボナノは感情や悲しみの欠如を指摘しているのではない。彼が言うところの「レジリエント」とは,トラウマに直面しても揺るぎない目的意識をもち,人生に意義を見いだし,前に進む勢いをもった人々を指している(これは本書におけるレジリエンスの定義と重なる——「システム,企業,個人が極度の状況変化に直面したとき,基本的な目的と健全性を維持する能力」)。レジリエントなコホートも誰もが死別後に深い悲しみを感じ,人生を大きく変える事態に直面して困難を味わっていた。しかし,彼らは適応し,ときには別離をきっかけに成長するなど,前に向かって進んでいた。しかも,悲しみの段階が顕著に見られることもなければ,悲しみを乗り越える作業を行わないからといって,フロイト派が予測したような結果に結びつくこともなかった。
要するに,彼らは立ち直ったのである。
アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.165-166
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