「彼はサイコパス的な要素で判断されるべきなんでしょうか。それとも正気な部分で判断されるべきなんでしょうか?」
「そういうたぐいのことを言う連中は,とても左翼的な,左に傾いている学者なのだよ。いや,私は決して軽蔑的な意味でこの言葉を使っているわけではない。彼らはラベルを貼るのが嫌いなのだ。人々に違いがあるという話が好きではないんだよ」彼は間をおいた。「人は私が軽蔑的観点からサイコパスを定義しているという。だが,ほかにどうすればいいというのかね?よいところを挙げる?たとえば,彼は話がうまい,キスが上手だ,踊りの名手だ,テーブルマナーがいい,などと言うことはできる。だが,同時に,彼は問題を起こし,人を殺す。さて,私はどこを強調したらいいのだね?」
ボブは笑い,私も笑った。
「犠牲者に,よいところに目を向けてくださいと言ってごらん。彼女は『できません・私の目は腫れあがっているので』と答えるだろう」
もちろん,行きすぎたラベルづけがあるのは認める,とボブは言った。しかし,それは製薬会社の仕業だ。「彼らがサイコパスの薬を開発したらどうなるか,見物だな。診断基準スコアはぐんと下がり,25とか20に……」
ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.332-333
PR