DSM-IIIをつくるにあたって多くの論争が繰り広げられたが,最も象徴的な論争は,1つの言葉,神経症(neurosis)の削除をめぐるものであろう。神経症,それは心的葛藤から生じると推定される傷害であるが,長い間,精神分析の大黒柱であった。DSM-IIIの実行委員会は,マニュアルからその言葉を放逐する提案をした。なぜならその語は障害の原因を強く含意するからであり,新しいマニュアルは「無・論理的」かつ「記述的」に指向されていたからである。精神力動的考えを持つ多くの精神科医は,この精神科言語の革命的提案を警戒し,精神分析を専門とする協会は強く反対した。1976年からDSM-IIIが出版された1980年まで,実行委員会と精神分析家の間には激しい対立が燃え上がった。競合する学派は,神経症という単語の採否をめぐって,戦闘を繰り広げた。戦闘はカンファレンスで,委員会の会合で,精神科のニュースレターで,私的通信で行なわれた。提案と反対提案がなされ,合意は潰され,妥協が生まれ,またそれは廃棄された。強硬派は脅しを用い,穏健派は妥協に走った。時間がたつにつれ,戦闘はエスカレートし,やがて制御不能となり,アメリカの精神医学が大混乱に陥る恐れも出てきた。5年間にわたって準備されてきたDSM-IIIの最終的な登場が,妨害される恐れも生じた。結局,ばか騒ぎも収まり,DSM-IIIは是認された。論争の的になった単語,神経症は,いくつかの場所にカッコ付きで用いられるという象徴的な存在となった。APAの理事会はDSM-IIIを是認した。なぜなら新マニュアルの影に,多くの「官僚的なうごめき」が生じていたからである。6年の準備,かなりの財政出費,多くのAPAの機関誌と大衆新聞紙上でのプロモーションを経て,新しい製品を拒否することは困難になっていたのである。
ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.60-61
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