DSMに収載されて以降,PTSDの診断を受けた大半の人々の病歴は,ベトナム帰還兵とは全く異なっていた。1980年,DSM-IIIで傷害として初めて認められて以来,PTSDは最も頻用される診断名の1つとなった。今日,PTSDは,惨劇に加担したり目撃した兵士の苦悩を説明するものとしてではなく,主として虐待とくに性的虐待の被害者の苦しみを説明するために用いられている。その変化の背景には,いくつかの歴史的な流れがある。とりわけ,レイプ,セクシャル・ハラスメント,子供や配偶者への虐待の外傷的な影響が広く知られるようになったことがある。広める原動力になったのは,ベトナム帰還兵ではなく女性市民運動であった。彼女たちの主張は,法律の拘束力の拡大を目論む保守的な政治家に擁護された。右左両派からの支持のもと,加害者を厳重に取り締まる運動や,体に外傷がなくとも被害者が傷害に苦しんでいることを示そうとする運動が燃え上がった。PTSDは,体の傷のない被害者の,遅延型の長期〜永続的な損害にぴったりなのである。
ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.148
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