次の変更点もまた,外傷概念を拡大し,PTSD予備軍の数を増やしている。1980年以降,外傷の構成要素についての定義は大きく変化してきた。元来,PTSDを誘発する出来事は,DSM-III-Rに盛りこまれたように「通常の人間の体験を越えたもの」,きわめて非日常的なものとみなされていた。この外傷を限定する一文が,DSM-IVでは抜け落ちた。例えば,愛する者を亡くすといった外傷は,辛いことではあるが,人生において普通に体験されることであり,きわめて破局的な事態と日常的な痛ましい体験とを区別するということで,初期には意味があった。しかし,DSM-IIIとDSM-III-Rの外傷体験の限定的な定義は2つの理由で批判された。1つには,心理的不安をもたらす出来事は,通常の人間の体験の範囲を超えるものではないかもしれない,というものだった。レイプなどの性的暴行が,それまで考えられてきた以上に頻発していることをアメリカ人は認識させられてきた。家庭内暴力の全体像も闇に隠されてきたが,ごく最近になって周知のものとなってきた。これらは日常的なことであるが,レイプ,児童虐待,家庭内暴力はどれもPTSD症状を産み出すのである。第2番目の外傷概念についての問題は,すべてのPTSD症状が,ひどい暴力の結果生じたわけではないというものだった。低いレベルのストレスを持続的に受けて外傷を生じた人たちもいる。中国の水責めは前額部に水滴を1滴ずつ落とすというものだが,このような些細なことさえ,繰り返し続けられれば,人は狂気に陥ると考えられている。もちろん,水責めは普通に起きることではないが,毎日続く出来事,たとえば間断なく続く勤務中の性的あるいは人種的いやがらせは,人を不安に陥れる。こうした場合,PTSDの引き金となった単発の事件があったわけではないが,その蓄積する効果が心的外傷をもたらしうる。これらの理由で,PTSDの診断は改訂され,ストレス反応を惹起しうる多くの日常的な出来事もその原因として含まれるようになった。
ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.151-152
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