BPDの診断は,客観的な証拠や理性的な議論の必要性を葬り去ってしまった。他の診断名と同様,DSMい登場したとたん,この診断ラベルは行動の説明としてとんでもない使われ方をしている。診断自体に罪はなくてもだ。多くの精神障害の原因は不明である。精神科診断というラベルは,なぜ人がこのように行動したのかということを説明しはしない。ラベルは,ある種の行動がある精神障害を構成するという主張のもとに受け入れられているとしても,単にある種の行動の組み合わせを同定しようとしているものにすぎない。したがって,行動の説明として診断を用いるのは,循環論法である。例えば,ある人が「うつ病であるから彼女は悲しんでいるのだ」と言ったところで,なに1つ理解できたわけではない。同じように,もしBPDの診断基準に衝動性があるならば,「彼女が衝動的なのはBPDだからだ」と言っても何にもならないであろう。ましてや,患者がBPDであるからといって,その治療者までが衝動的性関係をもつようになることを説明できようはずもない。にもかかわらず,グーサイルは治療者が性的な過失を犯すのは,患者の診断に原因があるのだと私たちに信じこませようとしている。グーサイルは巧妙にDSM-Vに新しい診断を提案したいのかもしれない。治療者を誘惑した患者は,「治療者誘惑性傷害」であり「偽りの告発性傷害」であるというように。ある治療者が私信でこんなことを語ってくれた。「BPDは屑かご診断なんだ。治療者が好きになれない患者や,やっかいな患者,診断がつきにくく治療に難渋する患者がこの診断をつけられる。BPDと診断された患者には,性的虐待や近親相姦の既往をもっているものが多いようだ」。「境界パーソナリティ障害」とは,「やっかいな患者」をさす隠語なのだ。心的外傷のほんとうの根源を扱わないで,患者の病理を語ったりBPDと診断してしまうほうが簡単なのである。
ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.250-251
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