移民を精神障害の主因とする思想は,19世紀後半に広く普及した。この思想は,移民に対する畏れと精神科入院患者の激増により加熱した。人数の増加,イコール精神障害の増加であった。望ましくない特徴が不利な結果を招くことについての生物学的説明は,ダーウィン,メンデル,マルサスや,とりわけ「優生学」という名の創始者であるガルトンの理論から引き出された。
しかし,彼らが精神病の原因を社会状況に求めようが,遺伝的欠陥を持つ人口の増加に求めようが,そのような学説の微妙さとは関係なく,ほとんどの論者は,後になって国に流入した劣等な「人種」が精神病の急増の主因と信じていた。移民の潮流を止め,精神的欠陥者を排除し,移民後に発病したと見なされる人たちを国外追放するための組織がつくられた。1882年,議会は,重罪人,狂人,白痴,一夫多妻主義者,てんかん,こじき,売春婦,アナーキスト,伝染病の罹患者,公的負担になりそうな人々などを排除する法律を可決した。が,措置の後も,貧困者や依存者,精神科病院入院患者の数は減らず,公衆の心配は癒えなかった。アジア人の排除法も同じで,1907年の日本移民の停止を旨とする紳士協定も,たいした効果をもたらさなかった。
こうした扇動の陰で,強大な権力を誇っていたのが移民制限同盟であった。これはアングロ・サクソンの優等性という信念をもち,他人種の存在が開拓者の遺伝的優位を損なうという思想を掲げる組織で,裕福なハーバードの卒業生によって設立されていた。彼らは自分たちへの恩師,ヘンリー・カボット・ロッジ上院議員が発起した法律の制定を支援した。移民制限同盟の基本戦略は識字率法案の採択で,彼らはそれが欠陥者を排除する有力な方法だと確信していた。識字法は1917年に最終的に採択され,さらに厳密な条例が1920年代に追加された。しかし,相変わらず精神科病院は満員であった。
ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.270-271
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