要点をまとめると,初期の神学者たちによれば,(1)道徳律は絶対的なものである,(2)人はみな生まれながらに絶対的真理を身につけている,(3)悪しき行動はまちがった判断の結果であり,シンテレーシス(良心)が欠けているせいではない,人はみな良心をもっており,人間の理性が完璧なら悪い行動は起こらない。
良心にかんするこの3つの考え方は,これまでの歴史の中で実際に広く支持されてきた。そしていまもなお,人が自分や他人を考えるうえで,測り知れないほどの影響力をもっている。とくに,3番目の考え方は根深く残っている。アクイナスから800年近くたっても,人は非道な行為を目にすると,「弱い理性」の現代版といった見方をする。悪いことをしたのは,貧しい体,心が乱れていたからだ,育ち方のせいだと考えたがる。そしていまだに神ないし自然が彼に良心を与えそこなったからだという,単純な説明には大きな抵抗をおぼえる。
数百年にわたって,良心にかんする議論は,人間の理性と神から授かった道徳的知識との関係が中心だった。いくつかの説も付け加えられた。最近では善悪の判断に比率主義をとり,理性が“善”をもたらすための“必要悪”をうながすという,都合のいい抜け道もある——たとえば「聖戦」などだ。
マーサ・スタウト 木村博江(訳) (2012). 良心をもたない人たち 草思社 pp.46-47
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