1960年代終わりから数十年にわたって,著名な心理学者のハンス・アイゼンクは,人間は強すぎもせず弱すぎもしない「最適な」レベルの刺激を求めているという仮説を主張した。刺激とは,私たちが外界から受ける力のことで,さまざまな形をとり,たとえば騒音も社交もまぶしい光も刺激となる。アイゼンクは,外向型の人は内向型の人よりも強い刺激を好み,このことが両者の違いの多くを説明すると信じた。内向型の人がオフィスのドアを閉めて仕事に没頭するのを好むのは,そうした静かで知的な活動こそが彼らにとって最適の刺激だからであり,それに対して,外向型の人はチームビルディングのためのワークショップのまとめ役とか会議の司会など,より積極的で明るい活動に従事しているときがもっとも快適に感じる。
アイゼンクはまた,こうした違いは上行性網様体賦活系(ARAS)という脳の組織にもとづいているのだろうと考えていた。ARASは大脳皮質と他の部分とを結ぶ脳幹の一部分である。脳は私たちを目覚めさせたり活動的にさせたりするメカニズムを備えている。心理学者が言うところの「覚醒」だ。逆に,鎮静させるメカニズムも備えている。アイゼンクは,ARASが脳へ流れる感覚刺激の量をコントロールすることによって覚醒のバランスを取っているのだろうと推論した。通路が広く開いていれば多くの刺激が入り,狭くなっていれば脳への刺激は少なくなる。内向型の人と外向型の人とではARASの機能が異なるのだと,アイゼンクは考えた。内向型は情報が伝わる通路が広いので,大量の刺激が流れ込んで覚醒水準が高くなりすぎ,それに対して,外向型は通路が狭いので,覚醒水準が低くなりすぎることがある。覚醒水準が高すぎると,不安をもたらし,しっかりものが考えられなくなるような気がして,もう十分だから帰りたいという気持ちになる。逆に低すぎると,閉所性発熱(訳注 悪天候などで狭い室内に長時間閉じ込められることによって精神的に参ってしまった状態)のようになる。いらいらして落ち着きを失い,家から出たくてたまらないときのような気持ちになる。
現在では,現実はもっと複雑だと私たちは知っている。そもそも,ARASは消防車のホースのようにスイッチひとつで刺激を流したり止めたりしないし,脳全体をたちまち溢れさせたりもしない。脳のあちこちの部分をバラバラに覚醒させる。さらに,脳の覚醒レベルが高くなっても,あなた自身は必ずしもそれを感じるとはかぎらない。また,覚醒にはいろいろな種類がある。大音量の音楽による覚醒は,迫撃砲砲火による覚醒とは違うし,会議のまとめ役をつとめることによる覚醒とも違う。刺激の種類によって必要とする感受性の強弱は違ってくるだろう。私たちがつねに適度なレベルの覚醒を求めているというのは単純すぎるのではないか。サッカーの試合の観客は激しい興奮を求めているし,リラクゼーションのためにスパを訪れる人々は穏やかな雰囲気を求めている。
もっとも,世界中の科学者たちが1000件以上もの研究によって,皮質の覚醒レベルが外向性と内向性の重要な鍵となっているというアイゼンクの理論を検証し,心理学者のデヴィッド・フンダーはさまざまな重要な点で「なかば正しい」と言っている。根底にある原因はさておき,コーヒーや大きな音などさまざまな刺激に対して,内向型の人が外向型の人よりも敏感だと示す証拠は多数ある。そして,内向型と外向型とでは,活動するために最適な刺激のレベルは大きく異なる。
スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.156
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)
(引用者注: David Funderは「ファンダー」と書くほうが発音に近い)
PR