そう言えば「平均」には2種類あることを学校で習ったなと思い出すかもしれない。算術平均は,ごく普通の平均だ。並んだ値をすべて足し合わせ,並んだ数値の個数で割れば得られる。たとえば野球の打率はこれであり[四死球と犠打を除く打席について,安打なら1,凡打なら0として計算したときの平均],表計算ソフトのエクセルで,=AVERAGE()という式を入れたときに計算するものだ。
幾何平均は,高校で習うが,たいていの人は忘れてしまう。これは n 個並んだ数を掛けて,その積の n 乗根をとる。もちろん,今ではどちらの平均にしても,手計算をする人はいない。エクセルにも,幾何平均を計算する式がある。 =GEOMEAN()である。
いずれの平均でも,その要点は,話を簡単にすることにある。マニー・ラミレスの打率は.349であるという方が,そのプロ野球での打撃の実績すべてよりおぼえやすい。打率は,膨大なままのデータを並べたものよりも,選手の能力について教えてくれることも多い。
野球でも他の多くのことでも,通常の,算術平均で十分に間に合う。なぜわざわざ幾何平均など考えるのだろう。
ベルヌーイは,ギャンブルから話を始める。「公平な」賭けとは,生じる可能性が同等の結果について算術平均として計算される期待値が,ゼロとなるものだ。いわゆる公平な賭けと言われる例をひとつ挙げよう。硬貨をはじいた結果に,財産をすべて賭ける。同じ額の全財産を掛けた相手と勝負する。2倍になるかゼロか,いずれかだ。勝った方が,相手の家も車も貯金も,すべて取る。
自分はたとえば10万ドルを持っているとしよう。硬貨をはじいた後は,20万ドルになるか,ゼロか,いずれかで,その可能性は五分五分だ。算術平均は,(200000+0)/2で,10万ドルとなる。10万ドルを,この賭けの公平かつ適切な価値だとして採用すれば,この賭けをしてもしなくても変わらないはずだ。今10万ドルあって,硬貨をはじいた後も,期待値は同じ額である。変わりはない。
人はこういうふうには考えない。自分も相手も,こんな賭けに応じるほど馬鹿ではない。自分の持っている物をすべて没収されれば,総額が2倍になって得られる得よりも,はるかに大きい損をしなければならない。
幾何平均を見よう。可能性が等しい2通りの結果を掛け算----200000×0----して,その結果の平方根を取る。何にゼロを掛けようと,ゼロになってしまうので,幾何平均もゼロとなる。これこそが賭けの本当の価値だと思えば,今ある10万ドルを手放さない方を選ぶだろう。
ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.236-237.
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