子供に将来の夢を語らせるような機会が多い。小学生の卒業アルバムなどにも,その種のことを作文で書かせたりしている。将来の夢という言葉と裏腹に,何故かほとんど例外なく「どんな職業に就きたいか」ということを子供たちは答えてしまう。おかしな話だと僕は思う。子供だったら,もっと「一日中遊んでいたい」とか,「宇宙を冒険したい」とか,あるいは「大金持ちになって,自分の庭に遊園地を作りたい」というくらい書いても良さそうなものだが,せいぜい,スポーツ選手になりたいとか,ダンスの先生になりたいとか,どうも仕事の種別に子供たちは拘っているようだ。
こうなるのは,大人が悪いと思う。子供が小さいときから,「大きくなったら何になるの?」なんて尋ねたりするのだ。両親ではなく,祖父母とか,伯父伯母とか,あるいは近所の年寄りとかに多いだろう。二十代くらいの若者は,子供にそんな馬鹿な質問はしない。まだ自分も半分子供だから,その問いかけの虚しさから抜けきっていないためだ。自分がかつて答えた夢に,まだ少し未練をもっていて,現実との間で藻掻いているためだ。それが年寄りになると,もう世捨て人に近づいているから,「この子が立派になるまで自分は生きていられるかしら」といった無責任さから,その場限りの夢の様な答を,ただ言葉として聞きたいだけなのである。
森博嗣 (2013). 「やりがいのある仕事」という幻想 朝日新聞出版 pp.38-39
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