ポピュリズムというのは,みんなやればできるのだという考え方として,ここでは定義されている。たとえば前述の苅谷剛彦は能力平等主義という言い方で言っているが,すべての人が努力によってあるレベルに到達できることを前提にした平等主義である。
もちろん,ポピュリズムがただちにすべて悪いわけではない。ポピュリズムがもたらす混乱状況を見据えつつも,他方で教育や学力というものを見ていく上で,こうしたポピュリズム的な視点は,最低限はふまえておく必要があるだろう。
たとえば,みんながイチローや香川真司にはなれないのは当たり前だと思うだろう。しかし,たとえば東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故が私たちに突きつけた,エネルギー問題や,放射線の問題を考えてみよう。こうした事柄については,専門家に判断を白紙委任するのではなく,市民が市民としての一通りの知識を身に付け,判断できるようにしなければならないという認識が共有されつつあるように思う。このように,世の中には,市民みんなが平等に身に付けることが求められつつあるものもある。プロに必要なものと市民に必要なもの,そこをどのように仕分けしていくかというところがポイントではないか。
小玉重夫 (2013). 学力幻想 筑摩書房 pp.58-59
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