ネットでのコミュニケーションによるトラブルでは,帰国子女の子どもが精神的にやられてしまうケースもしばしばみられます。それまで,外国の暮らしでは,メールやインターネットによるコミュニケーションよりも,直接思ったことを口にしてコミュニケーションをとってきたような子が,ちょうど小学校を卒業するころに帰ってきて,メールの分化に触れて,そこでつらい思いをすることになるのです。
この背景には,多少とも日本人特有のものがあるのかもしれません。海外の研究者たちにこのことを話すと,アメリカや中国の研究者たちは,「メールなんてただの文字だから,自分から切り離せるという感覚がないのか?」と,日本のこうした状況に首をかしげていました。外国ですと,メールは会って話すことに対して付属のような位置づけで,メールでわからないことや行き違いがあっても,あとで話せばいいではないか,あとで確認すればいいではないか,という感覚のようです。
でも,日本の場合には,直接相手に会って確認する前に,メールを見ただけで相当なショックを受けてしまう。言葉で直接話すよりも,手紙やメールのほうを重視してしまう傾向が日本人にはあるのかもしれません。興味のあるところです。
古荘純一 (2009). 日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか:精神科医の現場報告 光文社 pp.201-202
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