とはいうものの,男性がセクハラの加害者として訴えられ,でも男性本人は恋愛のつもり,相手が困っているとは知らなかった,というケースに接するたびに私は,相手の女性が受けた被害に同情する一方,男性の側の「カン違い」「妄想」も,ほんの少しですが,気の毒な気がします。というのは,「妄想」に落ちる気持ちもわかる,と言いたくなるようなパターンがあるからです。
そういう場合,男性は,たいていは中高年。相手は自分の部下や取引先の女性,指導している学生で,若い女性です。男性は,上司や先輩社員として,指導教授として,親身に女性の面倒を見ています。女性は若く仕事の経験も少なく,そんな彼女たちにとって,仕事を教えてくれる目上の男性は,頼りがいのある存在。自分を尊敬のまなざしで見つめ,自分が出す指示やアドバイスを一生懸命聞く女性に,男性は好感を持たずにはいられません。
はなはだ失礼なことを承知で言えば,日ごろは家庭で存在感が薄く,妻や娘から疎まれたりもしている中高年男性が,仕事のできる上司,頼りになる男性,尊敬できる先生,と思ってもらえるのですから,嬉しくないわけはありません。しかもそれが若く可愛い女性なら,格別でしょう。そういう女性の態度を「ひょっとして俺に気があるのかな」と錯覚するまでは,ほんのちょっとです。
というより,そういう中高年男性は,自分で仕向けておいて気付かないことも多いのです。「家族の誰も俺の誕生日を祝ってくれないんだよな」と愚痴をこぼしていた上司。当然,いつも世話になっている女性は,「これは祝ってほしい,ってことね」と察します。だから,誕生日には「これからも素敵な部長でいてください」などと嬉しいメッセージのカードをつけてデスクにプレゼントを置いておきます。それを男性は,自分が催促したことも忘れ,「やっぱり俺のことを……」と,舞い上がってしまいます。
牟田和恵 (2013). 部長,その恋愛はセクハラです! 集英社 pp.80-81
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