「仕掛けられる」被害者でしかない女性の側に説明責任を問うこと自体が,本末転倒と言わなければならない。説明責任はあくまで「仕掛ける側」にあり,加害者である男性が考えなければならない“男性問題”なのである。
しかし,この時代の変化を理解できない人たちの頭のなかでは,依然として,被害を訴える女性の側の問題であり続けている。いまだに多くの男たちは「嫌ならなぜ,もっと強く拒否しなかったのか」「なぜ,声をあげなかったのか」「なぜ,逃げなかったのか」という女性の責任を問えばよいという問題認識のままでいる。だから,彼らの関心は,依然として女性の挑発や抵抗への詮索だけに向けられている。
それどころか,加害者の男までもが,被害者の落ち度を言い立てたり,どうにもならなくなると,「魔が差した」などという他人言のような言い訳で済ませてしまおうとする姿勢を変えない。
金子雅臣 (2006). 壊れる男たち 岩波書店 pp.192-193
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