主観的で具体的なものが悪いわけではない。また,感情的になることも,けっして不自然ではない。人間には,主観が大事だし,具体的なものを捉えなければ生きていけない。そして,感情的にならない機械のような思考や行動は,ときに不気味でさえある。生活のほとんどは,主観と具体性だけで成り立っている。だから,その考え方だけでも生きていける。周囲のみんなが善人で,気持ちが通じ合い,平和で豊かであれば,また競争もなく,成功も出世も意味がないという聖人のような生き方が望みならば,それで良いのかもしれない。たとえば,無人島で自分1人だけで生きているという条件ならば,主観的かつ具体的思考でまったく問題はないだろう。現に,野生の動物はみんなそうしているのである。
けれども,人間社会ではそうはいかない。世界には沢山の人間が生きている。考え方の違う他者とつき合っていかなければならない。社会に出れば,ある程度の競争があり,また,もっと深刻な争いにも遭遇するだろう。自分の自由を獲得するためには,それらを克服あるいは解決していく必要に迫られる。そうなると,主観的で具体的で感情的なものに囚われていては,明らかに不利になるのだ。
森博嗣 (2013). 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか 新潮社 pp.6
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