1966年のことだが,テキサス大学オースティン校で発生した,時計塔からの狙撃事件のニュースに全米の市民が騒然とした。狙撃したのは,チャールズ・ホイットマンという名の25歳の元海兵隊員だった。この事件で15人が殺害され,32人が負傷した。犯人のホイットマンは,警察の手で射殺された。また,ホイットマンはその前夜に母親と妻を殺害していたことがのちになって判明している。
この事件は,41年後にバージニア工科大学で乱射事件が起こるまで,アメリカ史上最悪のキャンパス乱射事件として知られていた。ホイットマンは,自らの遺体の解剖をするよう書き記した手紙を残しているが,ますますひどくなっていた頭痛と,「異常で不合理な思考」の原因が解剖によって解明されることをの望んでいた。「最近は,自分のことがまったくわからない」と記していたホイットマンは,自分のしようとしていることをなぜ止められないのかを自問していたようだ。また生命保険が有効なら,それによる入金を「この種の悲劇の再発を防止するための」医学研究に役立ててほしいと書いている。検死解剖の結果,担当医師は情動を調節する組織の1つである扁桃体が脳腫瘍によって圧迫されているのを発見した。
この発見は,ホイットマンの罪に対する私たちの見方に影響を与えるだろうか?確かに彼は,自分が何をしているのかを,そしてそれがまちがっていることを理解していたにもかかわらず,用意周到に残虐な行為を計画していた。まさに悪の権化といえよう。
しかし彼の脳は脳腫瘍にひどく侵されていたために,自分の行動に対して何の情動的なつながりをももっておらず,犠牲者の立場に身を置くことも,自分の将来について関心を抱くこともできなかったのかもしれない。健康な人間なら,そのような残虐行為の実行を阻止していたはずの脳の部位が,正常に機能していなかったともみなせる。
脳腫瘍がなければ暴力もなかったのだとすると,彼は本当に邪悪だったのだろうか?それとも,その日死んだ人々と同様,彼も脳腫瘍の犠牲者とみなされるべきか?
ケント・グリーンフィールド 高橋洋(訳) (2012). <選択>の神話:自由の国アメリカの不自由 紀伊國屋書店 pp.94-95
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