人間の時間や空間についての尺度も,きわめて大きな束縛の1つだと思います。例えばわたくしどもは,だいたい10分の1秒程度の時間的な変化以上に細かい分解能力をもっていません。もしこれがもっと細かい分別能力をもっていたら,恐らくわたくしどもの知覚している世界はまるで変わったものになっているでしょう。当然,もっと粗っぽい分別能力をもっていたとしても,やはり受け取る世界は違っていると言えます。
空間的な大きさが変化する場合でも,事態は変わりません。わたくしどもの身体が細菌程度の大きさであったとしたら,あるいは地球程度の大きさであったとしたら,この世界の様相はまるで違ったものになってしまうはずです。
少しSF的な想像になりましたが,何が言いたいかはわかっていただけたのではないでしょうか。今わたくしどもが,天然自然の姿として認め,知っているものは,たまたま,わたくしどもが,今のわたくしども程度の大きさをもち,わたくしどもの感覚器官が,今の程度の分別能力をもっていることの結果としてのものなのであって,それらの条件が変われば,自らそれにつれて,外界の有様も変わる,ということは認めなければなりますまい。
村上陽一郎 (1979). 新しい科学論:「事実」は理論をたおせるか 講談社 pp.151
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