東インド会社の中国貿易独占権はようやく1834年に廃止されたが,毛皮貿易についてはもはや手遅れだった。当時までにラッコは激減し,毛皮交易はかつての高利潤を生み出せなくなっていたからである。対仏戦争と第二次英米戦争(1812年戦争)によるイギリス商業とヨーロッパ市場の混乱,そしてハドソン湾会社とノースウェスト会社が相互の競争に勢力を消耗したことで,イギリスは短いラッコ交易の最盛期を逸した。クック艦隊の情報により広州での毛皮貿易に先鞭をつけ,1790年代初めに沿岸毛皮交易を最初のピークに引き上げたにもかかわらず,イギリスは結局アメリカの手にラッコ交易を譲ってしまう。ヌートカ湾紛争でと同様,ラッコ交易でもアメリカが「漁夫の利」をえたのである(Williams, 1966, pp.181-184)。
木村和男 (2004). 毛皮交易が創る世界:ハドソン湾からユーラシアへ 岩波書店 pp.120
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