毛皮交易がもたらした害悪として,銃器,アルコール,タバコの他に,性病や伝染病をあげなくてはならない。性病は1778年のクック隊により,タヒチ,ハワイ,ヌートカ,さらにアラスカ半島西端のウナラスカ島にまで拡大された。1792年にヌートカ湾に上陸したスペイン人は,「先住民はすでに恐るべき梅毒の蔓延を経験し始めている」と記している。1820年ともなれば,ハドソン湾会社のフォート・ジョージでは,10人中9人の従業員が梅毒の水銀治療を受けており,「一夜のヴィーナスは,3年間の水銀」なる警句が生まれた(Merk, 1931, p.99)。部族間戦争による死亡率も,銃器のために増大した。ヌートカ湾でのインディアン人口は,これらの理由のため,1788年の3000−4000人から,1804年には1500人に減少している。しかし最大の被害をもたらした疾病は,内陸でと同様,周期的に沿岸各地を襲う天然痘だった。最初の感染源は恐らくスペイン船で,1792年にジョージ・ヴァンクーヴァーは,ピュージェット湾とジョージア海峡で,天然痘のため廃墟と化した多くの村落を目撃している。1795年にはハイダ族に天然痘が蔓延し,人口の3分の2が死亡した。チヌーク族にも,1776−78年,1801−02年に天然痘が広がっている。白人がもっとも恐れた屈強なトリンギット族でさえ,1835年11月にシトカから広がった天然痘で,人口が1万人から6000人まで減少してしまい,ロシア人士官によると「哀れな連中は,ハエが落ちるように死んでいった」。伝染病,銃器,アルコールなどのため,北米太平洋岸のインディアン人口は1774年の18.8万人から,1874年までの100年間で3.8万人にまで激減したと推計される。
木村和男 (2004). 毛皮交易が創る世界:ハドソン湾からユーラシアへ 岩波書店 pp.131-132
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