この頃から母親は映画でもテレビでもいちゃもんをつけるようになった。何を見ていても横で捨て台詞を吐いていく。例えば戦争映画を見ればこう言う。
「この人たちは,聖書を知らないからこうなるのよ」
「暴力はクリスチャンらしくないわ」
「どうせ楽園がこないと,解決されないのよ」
私が「だって映画じゃん」というと,「やっぱり世の娯楽はね……」で終わる。
実際問題,証人である母親たちの会話は投げやりだ。どんな問題でも全て楽園か,サタンか,ハルマゲドンの3つの言葉で片付けてしまう。
政治問題であれば,「結局サタンの支配だからね」。
戦争報道を聞けば,「楽園がこないと解決しないのよ」。
環境問題であれば,「どうせハルマゲドンが来るからね」。
経済格差であれば,「楽園じゃないと無理よ」。
こんな調子で全ての問題を安易に片付ける。そして最後に,同じ調子でこう言う。
「どうせ全ての娯楽は,サタンの産業が作り出すのだから,何も見ない方がいいわ」
佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.68-69
PR