今であれば言えるのだが,実はギリシャ語聖書には同性愛を断罪する聖句がない。少なくともイエスは一切言及していない。イエスが常にヨハネと寄り添っていたので,2人はゲイだったと主張するリベラル派もいるくらいだ。パウロがローマの書で同性愛行為に対して言及している。しかしそれは行為そのものでなく,神殿男娼(異教徒宗教そのもの)を糾弾しているだけであるという見方もある。
ヘブライ語聖書では同性愛は死刑だとある。しかしイエスの新しい立法の後もモーセの古い立法は有効なのか?という議論がある。もしモーセの立法の規則をそのまま当てはめるべきだというのであれば,反抗的な子供は皆,石打ちの刑にされないといけない。浮気をした人も同様に死刑だ。また,月経の女性は穢れているので7日間,人と接触してはならない。そして当然豚肉は食べてはならない。果たしてすべてのクリスチャンはそうしているのだろうか?ヘブライ語聖書の細かい規定に照らし合わせれば,我々は全て死刑に処せられるべきだ。
ちなみにタイなどの多神教ベースの国ではゲイが多い。多神教の日本でも戦国時代の名だたる将軍たちはバイセクシャルであった。日本で同性愛行為が異常だと見なされるようになったのは,明治維新後に黒船とキリスト教が入ってきてからである。現在の結婚,婚前交渉,性道徳に関するモラルはこの時に一神教の影響を受けたものである。日本ではもともと祭りなどでお寺での乱交があたりまえであった。
キリスト教は一夫一婦制を厳しく定めている。しかしヘブライ語聖書の登場人物は皆,好きなように複数の異性と関係を持っていた。ソロモンは1000人の女性を囲ってハーレムをつくっていた。クリスチャンと聖書の提唱する道徳基準には,大きな隔たりがある。
佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.215-216
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