まえもって充分にはわからないとすれば,まえもってだれかに割り当てておくことは難しい。特定個人に割り当てできない以上,それをこなす人が出現すると,一見集団主義,チームワークの成果のように映じよう。もちろん,そうした個人のすぐれた働きは,見る目のある人には歴然とわかる。わかる以上,その働きに報酬を用意しなければならない。それが仕事をよく知る人の査定なのだ。
逆にいえば,他国はこうした問題や変化への対応を,やや大げさにいえば,生産ライン職場で見逃し検査職場にゆだねるから,個人主義だけの方式にみえる。逆に,一見集団主義にみえる日本職場は,むしろすぐれた個人の働きを認め,それに報酬を払っているのである。西欧の方式は作業を標準化し,標準化しにくい作業をこなすすぐれた個人の働きを,かえって封殺した方式といわねばなるまい。
小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.57-58
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