はやい話が,なぜ日本でも課長以上では残業を記録せず残業手当を払わないのか。そこから考えよう。それは課長以上の仕事はありきたりのマニュアルではまったく規定できないからである。規定できればなにも課長職はいらない。判断材料が一切ないということになるからだ。つまり課長の仕事の内容,その仕事の仕方は課長個人の判断や考え,すなわち創意工夫によるほかない。それゆえ,これだけの作業を行えばよい,という基準ができない。かりに文章に書いてもごく抽象的な表現にとどまる。当然のことながら,できる課長とできない課長の個人の効率差ははなはだ大きいのだ。
その個人差は高度な職ほど大きい。かりに社長や事業部本部長をみれば歴然としよう。社長の仕事に限界はなく,自宅のお風呂に入っていても経営のことを考える。のほほんとくらす社長の企業はかるく他国企業に買収される。瞬時の油断もできない。
そうした創意工夫のほんの一部でも生産労働者に頼むならば,とうてい労働時間ではその作業の成果は測れず,したがってその業績は時間数では測れない。
小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.168-169
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