成功した人に莫大な成功報酬を支払い,他方,失敗した人にもなんらかのコストを払ってもらうべきだ,という業績至上の原則を強調するならば,創造的な研究は大きく後退しよう。すぐれた人は創造的な研究に赴かないからである。なぜか。
創造的な研究開発とは失敗する確率が極度に高い。そうであれば,通念の方式では,圧倒的に多くの研究者は失敗のコストをあるていど払うことになる。それではその研究者が大金持ちでないかぎり,生活がもたない。結局,射幸心のつよい例外的に少数な研究者しか創造的な研究に赴くまい。それではたして創造的な研究が多くうみだされようか。
つまり,真に創造的な研究開発を推進するには,失敗のリスク,コストを大きく組織がとるほかない。それは具体的にいえば,成功したらそこそこの報酬,失敗してもなおすくないながら昇給する,というしくみであろう。そして成功者はその後の研究テーマの選択,研究費の配分,研究チームの人選により大きな発言権を得ることであろう。それならば,いままでも日本企業が行ってきたことではないか。そのゆえに,これまで日本社会が他国に勝るとも劣らない研究開発の実績をあげてきたのであろう。
「神話」にとらわれた誤認識がいかに本来のよさを殺すか,いかに自他の状況を知ることが重要でしかも容易でないか,それはどれほど強調しても強調しすぎることはない。
小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.254-255
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