当時の日本人は強烈な名誉意識をもちつつも,一方で怒りを「胸中を深く隠蔽し」,「次節が到来して自分の勝利となる日を待ちながら堪え忍ぶ」という陰湿さも同時に持ち合わせていたのである。
とくに,容易に「主殺し」に転化するような荒ぶる心性を身につけていた被官たちに推戴されていた室町期の大名たちは,つねに被官の反逆に恐々としながら生きていたことは疑いない。史料を読んでいると,よくこの時代の室町殿や大名が発狂するという話に出くわす。あまりにその事例が多いため,これを足利氏を中心とした遺伝的な形質として理解する説もあるが,むしろ私は,その原因は当時の権力構造と被官の心性に由来するものと考えるべきだと思う。後継者の決定や家政の運営について,この時期,大名当主の意見は通りにくくなり,家臣団の意見が尊重されるようになってくる。また,彼ら被官たちが主従の秩序よりも自身の誇りを最優先する心性をもっていたことは前述のとおりである。いっそ近代大名のように,大名当主の存在が「家中」という政治機構のなかに明確な職掌と位置を与えられていれば問題もないのだが,この時期の家政のすべては家臣団と大名当主のパワー・バランスの中で流動的に推移していた。そんな不安定さのなかで,家臣団を思い通りに統制することができず,精神のバランスを崩してゆく大名が多かったのではないだろうか。
清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.31
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