この2つの事例に共通するキイ・ワードは,ずばり「憑む(頼む)」である。室町時代に成立した芸能である狂言のなかでは,よく下人である太郎冠者や次郎冠者が,自分の主人のことを「たのふだ人」とか「たのふだ御方」とよんでいる。これはまさに「憑んだ人」「頼んだ御方」の意であり,ここでは「憑んだ人」とは「主人」と同義で使われていることがわかる。中世社会においては「憑む(頼む)」という言葉は,たんに現代語のように「あてにする」「依頼する」という程度の意味ではなく,むしろ「主人と仰ぐ」「相手の支配下に属する」というようなつよい意味をともなっていたのである。つまり,屋形に駆け込んだ者たちは,自己の人格のすべてをその家の主人に捧げ,「相手の支配下に属する」ことを宣言したのであり,これにより主人の側はたとえ相手が初対面のものであったとしても,彼の主人として彼を「扶持」(保護)する義務が生じた,と,当時の人々は考えていたようなのである。
清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.58
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