現代の私たちの生きる社会では,それが良いことか悪いことかはべつにして,さまざまな場面で「個人」が尊重され,「集団」に対する帰属意識が薄れていっている。いまやかつてのような「村」や「町」という共同体はほとんど見られなくなっているし,「家」すらも今後いまと同じようなかたちで存続するという保証はどこにもない。かつては日本経済の美徳(?)とされた「企業」への滅私奉公意識も若者を中心に急速に薄らいでいる。そうした現代人の目には,こうした室町社会のありようはきわめて奇異なものに映るかもしれない。しかし,この時代は「個人」がその生命や財産を守ろうとしたとき,なんらかの(ときには複数の)「集団」に属することは必須のことだった。そして,その代償として人々は紛争の無意味な継続や拡大に悩まされることにもなった。そのため,この状況にどうにかして歯止めをかけることが,当時,社会全体から切実に求められていたのである。
清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.76
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