「やられた分だけやり返す」という中世の人々の衡平感覚や相殺主義は,現代人にはどうにも野蛮で幼稚な発想のように思えてしまうが,反面で「やられた分」以上の「やり返し」を厳に戒める効果も明らかにもっていたのである。さらに視野を広げれば,そもそも人々の同害報復の観念が復讐を助長した反面,復讐に一定の制限を与えていたという事実は,さきに例としてあげたメソポタミアのハンムラビ法典をはじめとして,中世ヨーロッパ世界やイスラム世界など人類史上においても普遍的に確認される現象である。こうしたことから考えれば,日本中世社会の衡平感覚や相殺主義も,それは一方で紛争の原因でありながらも,他方では紛争を収束させる要素ともなっていたと断言して差し支えはないだろう。そして,他でもない喧嘩両成敗法とは,当事者双方を罰することで,まさにそうした均衡状態を強制的につくり出す効果をもっていたのである。
清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.123-124
PR