しかし,落とし穴がある。紙に書いてあるとそうは思えないものだが,現実世界では,ある疾患と別の疾患を分ける境界線はずっとあいまいだ。DSMのどのハードルにも,魔法めいたところや神に定められたようなところはない——黒と白の分岐点らしく見えても,そこにはグレーの影が存在する。大うつ病の条件を5つの症状が2週間つづくとするのは,主観にかなり頼った選択の産物であり,科学的な必然性があるわけではない。同じくらい簡単に,ハードルはもっと高くできる——6つの症状が4週間続かなければならないというように。ハードルを高くすれば,「感度」は損なわれるが(それゆえ,診断が必要な病人の一部を見落としてしまうが),「特異度」は高まる(正常な人々にまちがったレッテルを貼りにくくなる)。感度と特異度は密接な相対関係にある——一方を損なわずに他方を高めるのは不可能だ。両者のあいだには必ずトレードオフがあり,過剰診断と過小診断のリスク便益の適切なバランスをとらなければならない。どこに基準を設定するかの最終決断はつねに主観的な判断になる。いくら研究が進んでも,ほかの選択肢ではなくある特定のハードルを選ぶように命じる明白で説得力のある答は得られていない。
アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.62
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