コーランには精神障害者に「衣食を与え,懇切にことばやさしく話しかけなさい」とある。重度の精神障害者に財産関連の決断をさせてはならないという実用的な忠告もあるが,敬意と思いやりを持って精神障害者を扱うよう求めている。これが宗教と全く関係ない,深い洞察を伴う臨床アプローチをもたらした。精神障害者は管理の行き届いた病院で保護観察介護を受けられた。患者の問題を記録し,理解するのも病院の役目だった。705年,精神障害者を専門とする最初の病院がバグダードに開かれ,800年にはカイロがそれにつづいた。やがてほかの大都市の多くもそれにつづいた。イスラム教の病院はしばしばユダヤ教徒とキリスト教徒の医師を雇い,大きな外来患者診療所と薬局を備えていた。
精神医学の進歩には目を瞠るものがあり,1000年後のヨーロッパの歩みをそっくり先どりしていた。ヨーロッパではそのころになってようやく,独立した精神科病院が設立された。アラブ世界の精神科病院は科学的発見のすぐれた揺りかごになった。精神医学の専門家たちは,多様な患者を詳しく調べて,異なる経過を比較できた。そして正確な臨床観察をおこない,症状を症候群にまとめ,有効な治療法を開発した。アラブ世界の精神医学は,世界に類を見ないほど詳細で実用にすぐれた学問の域に達し,のちの精神医学がふたたびそこまでたどり着くのは,1900年ごろのことだった。
アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.98-99
PR