製薬企業の得になった決定はふたつしかない——ADHDの条件をわずかにゆるめたことと,双極II型障害を導入したことだ。どちらも臨床の重要な隙間を埋めるもので,どちらもじゅうぶんな証拠によって裏付けられ,どちらも決定がくだされた時には明白な商品価値はたいしてなかった。残念ながら,製薬会社が消費者に宣伝する権利を獲得し,高価な新商品を開発するに及んで,どちらの決定も製薬会社の食い物にされた——けれども,そんなことになるとはわれわれに予想できなかったし,防げもしなかった。製薬会社は,DSM-IVの内容に対してはなんの役割も演じなかったが,その乱用に対しては重大な役割を演じた。カエサルの妻たるものは疑念を招いてはならないと私も思う——が,それでもこの件に関しては,いわれのない疑惑だと確信している。
DSMには功罪がともにある。それは精神科の診断の信頼性を高め,精神医学研究の変革をうながすというきわめて貴重な役割を果たしている。だが同時に,とめどもない診断のインフレを発生させ,その継続にひと役買うという非常に有害な意図せざる結果ももたらしている。診断のインフレは「正常」をおびやかし,精神科医療における著しく過剰な治療へとつながっている。
アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.134-135
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