DSM-5は精神科の診断にパラダイムシフトをもたらすという大きすぎる野心をもっており,それは3つの異なる構想に表れていた。ひとつめは,神経科学のめざましい発見をどうにか土台に持ってきて精神科の診断を変えるという現実離れした目標だった。実現できればすばらしいことだが,当然ながらまだそれは遠すぎた橋であり,試みは失敗した。神経科学は自らの亀の歩みのようなペースでしか,日々の精神科の診断し浸透しない。その時期でもないのに前へ前へと急がせることはできない———そしてその時期はまちがいなくまだ訪れていない。
野心に満ちた目標のふたつめは,臨床精神医学の領分を広げることだった——ほかの医学分野のまねをして,病気の早期発見と予防医療をおこなうすばらしい新世界を追い求めたわけだ。皮肉なことに,DSM-5が手本とした医学分野の多くで,行きすぎた早期検診に疑いの目が向けられるようになっているのは言うまでもない。
DSM-5の3つ目の野心は,最も危険が小さくて最も達成がたやすいものだった。疾患にただ名前をつけるのではなく,数量化して精神科の診断をもっと正確にくだすというのがその発想だった。うまくいけばこれは名案になった——が,臨床現場では使いようのない複雑な多元的評価を必要もないのに作っただけで終わった。
アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.266-267
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