「嗜癖」という語は,あらゆる熱中や傾倒を含むものへと拡大解釈されつつある。かつてのそれは限定されていて,薬物やアルコールへの身体的な依存のみを指していた——ハイになるための量がしだいに増え,やめれば重い離脱症状が出るような依存だ。その後,「嗜癖」は脅迫的な薬物乱用も指すものへと拡大された。これに陥っている人は,もうなんの意味もないのに,薬物を摂取しなければならないと感じる。快感は消え失せ,重大な悪影響があるだけなのに,つづけずにはいられない。最近では,種類にかかわりなく,頻繁な薬物の使用に「嗜癖」が軽々しく不適当に用いられている——まだ強迫的な使用に至っていない,純粋に快楽を求めての使用であっても。DSM-5は拡大解釈の最後の段階を踏み,われわれはアヘンに病みつきになる人とちょうど同じように,好みの行為に依存しているのだとしている。
「行為嗜癖」という概念には,われわれはみな「行為依存者」だとする根本的な欠陥がある。快楽を繰り返し求めるのは人間の本質の一部であり,当たり前すぎて精神疾患とは見なせない。何百万もの新しい「患者」が勝手に作り出され,あらゆる熱中を医療の対象にし,刹那主義に「病者役割」という口実を与えてしまうかもしれない。
アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.292-293
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