念を押すまでもないけれど,メディアの考察や煩悶そのものを否定する気はない。ネット社会の弊害は確かにあるし,犠牲やトラブルを最小限に抑えられるのならそうすべきだ。ただし今回の犯人探しは質が悪すぎる。両親の厳しい躾が原因であるかのような報道が,例によって昨日あたりから現れている。同じ長崎の少年事件の際にも,母親と少年とが手を繋いで歩いていたことが,事件の要因であるかのように報道されていたことを思いだした。
わからないことをわからないとメディアは認めたがらない。だから無理に理屈をこじつける。スタジオに呼ばれた評論家やジャーナリストも,晴れ舞台とばかりに気負って発言する。こうして少しずつボタンのかけ違いが拡大し,挙句の果てに文部科学省が「命の重みを教える教育」などと戯言をほざき始める。頼むから引っ込んでいてくれ。そんなもの教室で教わることじゃない。
森 達也 (2006). 世界が完全に思考停止する前に 角川書店 p.119
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