いまにも流行する可能性が最も高いのは「インターネット嗜癖」である。野火が広がるすべての要素が整っている——警報を発するおびただしい数の本,雑誌や新聞に載るべき記事,テレビによる広範な告知,氾濫するブログ,怪しげな治療プログラムの登場,何百万もの患者候補,新たに誕生した「オピニオンリーダー」役の研究者や臨床医による盛んな喧伝などだ。DSM-5は自制を示し,インターネット嗜癖を正式な精神科の診断として認めず,あいまいな補足事項にとどめた。しかし,DSM-5の完全な支持がなくても,インターネット嗜癖が盛りあがることにならないか,注意しなければならない。たしかにわれわれの多くは,映画館のなかや真夜中でもEメールをこっそりチェックしたり,電子の世界の友人たちから少しのあいだ引き離されるだけで寂しくなったり,時間が空けばネットサーフィンやEメールやゲームをしたりする。
だがこれはほんとうに嗜癖と言えるのか。いや,必ずしも言いきれない。嗜癖と言えるのは,執着が強迫的で,報酬や実益がなく,現実生活への参加やそこでの成功の妨げになっていて,著しい苦痛や機能障害を引き起こしている場合である。ほとんどの人にとって,インターネットとの結びつきは,たとえそれにどれほど夢中でかじりついていようとも,苦痛や機能障害をはるかにうわまわる快楽や効率をもたらしてくれる。それは隷属と言うよりは熱中や道具の活用に近い——精神疾患と見なすのは最善ではない。あらゆる人々の日常生活や仕事の不可欠な部分になっている行為を精神病と定義するのはばかげている。
アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.296-297
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