吹けば飛ぶような心理学が,市民権を得ていくには,ここからさらに何十年の月日と心理学のたゆまぬ努力が必要となった。確かに医学とは比べ物にならないほどおくれをとっている学問であり,その臨床応用などとんでもないという感じでもあった。しかし,それだけの学問であっても,心を見つめる視点は精神科の医師たちに比べて決して遅れをとるようなものではなかった。だからこそ,インターン出たての若い医師が我々を一段低く見,軽蔑したように唇をゆがめ,薄笑いを浮かべて,「もっと勉強しなよ」というような不遜な顔を向けてくると無性に腹が立ったものである。
それに不幸なことに心理学とはフロイトの流れをくむ精神分析学である,という認識がまだ医学の世界に強く流れていた。心を科学として考えようとする関西学院の心理学教室の行き方を理解してくれる医学の世界の光は,まだまだ薄暮の中に埋没していた。心理学の地位を確定しようと社会的にもがけばもがくほど自己嫌悪に陥るのだが,日本の心理学はその怒りと悲しみを切実な問題として受け止める気配は薄く,手も広げていなかった。ただ心ある一握りの人たちが歯ぎしりをしながら,医師への反抗心を燃やし,ときに心ある医学者と熱い語らいをしていた。
三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.220
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