ムラト1世の時代のイェニチェリの数は2000人程度,15世紀前半のムラト2世の時代にも3000人程度といわれ,それは,文字どおり少数精鋭の近衛兵だった。彼らは有給で,常にスルタンの周囲をかため,その特権的な地位を誇った。
その特権は「スルタンの奴隷」(カプクル)という言葉によって表された。カプクルは直訳すると「門の奴隷」となる。門とはスルタンの家を指し,彼らがスルタンの「もの」として扱われる家産的な傭人だったことを意味している。彼らは,イスラム法で定義される奴隷身分にあることになっていたが,それは多分に建前上のことであった。「スルタンの奴隷」は,スルタンに対してのみ奴隷であり,また,宮廷や軍の中で職にある限り解放されることもなかったからである。彼らはスルタンの「もの」であることから,生きる権利をスルタンに握られていたが,スルタン以外に対しては特権的な存在になりえた。
林佳世子 (2008). オスマン帝国500年の平和 講談社 pp.76
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