整理しよう。消費と自分の結びつきは,以下のような4つの効果を持った。第1に,それは1960年代以来伏流してきたほんとうの自分,自分らしさという問題系に誰もがアクセスできる手軽な回路を与えた。第2に,その結果,自分というものが自分自身の選択を構成の結果であるという感覚が定着していった。第3に,ほんとうの自分,自分らしさというものが虚構に拮抗する現実の重さとして希求されるが,第4に,いかなる「ほんとうの自分」も結局はもう1つの虚構であるという感覚がそれとともに台頭する。
考えてみると,1990年代に入ってからの社会学的自己論は,1980年代に醸成されたこの感覚を理論的言語に翻訳することによって成り立っていたようにも思える。すなわち,自己とは社会的に構成されたものであり,また自己について語る物語として成り立つ,といった議論である。社会構成主義や社会構築主義と呼ばれることの多いこういった自己論は,消費という触媒を得て一般化した自己の特定フォーマットを理論化したものだとみることができよう。宮台真司の言葉を借りれば,ここで社会学は自らが対象とする現実と共振してしまっていたわけだ。
浅野智彦 (2013). 「若者」とは誰か:アイデンティティの30年 河出書房新社 pp.63
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