日本において儒教がもっとも重宝された時代は江戸時代である。幕藩体制を強化するために,為政者(すなわち江戸の徳川幕府と各地の諸大名)は儒教の教えを支配原理として用いようとしたからである。時代によって色々と考え方に種類のある中国の儒教の中でも,宋の時代(具体的には南宋)における朱熹による朱子学の思想が13世紀に日本に移入されており,江戸幕府はこの朱子学を政治哲学として重宝したのである。具体的には林羅山とその後継者による儒学者の教えを幕藩体制の教学ないし正学としたことが大きい。ここで正学とは,幕府公認の学問・思想であり,この教義を政治を行うための唯一の学問体系であると宣言した,と理解してよい。その宣言は「寛政の改革」を実行した老中・松平定信の時代,すなわち1787(天命7)年頃である。他の学問・思想は異学として排除した,と言ってもよいほどである。ここで江戸時代における異学とは,儒学の中にあっても朱子学以外の思想,例えば陽明学や古学であるとともに,儒教以外であれば仏教やキリスト教である。キリスト教は江戸時代に異端として弾圧されたことは有名であるが,仏教は為政者,民衆ともに信者が多かったので,異端や異学とするのは言いすぎである。仏教の場合には統治のための学問・思想としてさほど重宝しなかっただけであり,弾圧やそういう圧力をかけることはなかった,といった方が正確である。
橘木俊詔 (2013). 宗教と学校 河出書房新社 pp.15
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