僧侶養成か,俗人教育か,という論点は,実際の学校の設立過程を知ることによってわかる。谷川(2008)は浄土真宗本願寺派の僧侶養成学校の設立過程を紹介している。江戸時代には学林と呼ばれる僧侶養成学校を持っていたが,それに替わる新しい僧侶養成方法を模索していた。本願寺派は最初の頃は俗人教育と僧侶養成を兼ねる学校制度を考えていたが,1876(明治9)年に結局は僧侶養成のための「大教校」が学林にとって替わる。1885(明治18)年には俗人教育をも兼ねた「普通教校」を創設するが,これも僧侶養成校へと傾いていく。
なお京都の現・龍谷大学は,この「大教校」や「普通教校」の後身の学校である。校史によると龍谷大学の創設は1639(寛永16)年に西本願寺境内に学寮を建設してからのスタートである。従って370余年の長きにわたる古い歴史を示す学校であるし,同校はそれを誇りにしている。
橘木俊詔 (2013). 宗教と学校 河出書房新社 pp.89-90
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