しかも,「ここに幸せあり」という噂を聞くと,わたしたちはいとも簡単にだまされてしまうのです。かつて,人類学者のマーガレット・ミードが『サモアの思春期』という本を出版しましたが,その中で彼女が描いたこの太平洋(パシフィック)に浮かぶ島の生活は,文字通り平和(パシフィック)そのものでした。羨望も嫉妬も対立も暴力もない,いわば地上の楽園です。しかし実は,ミードはふつうの旅行者以上にサモアに滞在したわけでもなく,そもそも島に到着する前に,自分の出したい結論がとっくにわかっていたのです。
驚嘆すべきはむしろ,堂々とフィクションを書こうという(ある意味立派な)動機にしたがったミード本人ではなく,この著作への世間の反応です。『サモアの思春期』は人類学分野では空前のベストセラーとなり,何百万という人の考え方に影響を与えることになりました。読者はどうやら,不幸とは無縁な社会が存在するという話には,あまり深く考えずに飛びつく傾向があるようです(しかもサモアには対立も暴力もほかの国並みに存在することを示す著作が,すでにいくつも存在していたにもかかわらず,この幻想を素直に受け入れたのです)。
けれども,そもそもそのような結論がみちびけるはずがありません。わたしたちの社会よりはるかに貧しく,出産にともなう病気や困難も多い,非常に不安定な国において,世界中の人間とひとしく,恋愛,競争,老化など生きるための葛藤にさらされている人々なのです。なのに,彼らのことを最高に幸せな人々なのだと納得してしまうこの現象は,サモア人よりも,むしろミードの読者の心理について,語ることが多いのではないでしょうか。
ダニエル・ネトル 山岡万里子(訳) (2007). 目からウロコの幸福学 オープンナレッジ pp.73-74
PR