わたしたちは盲目的に,「自分が欲しいと願うもの」イコール「幸せをもたらすもの」であると信じていますが,実は,競争を第一義に考える脳によって,残酷にもだまされているのかもしれないのです。人が生活の中で欲しいと願うものは,進化を経た脳によって欲しがるように命じられているものであって,そこには幸福などという概念が入りこむ余地などないのです。昇進など気にせずボート作りに打ち込む,あるいはボランティア活動をするほうが,よっぽど幸せになれることは,多くの例が示しています。しかも経済的成功を重要視すればするほど,仕事にも家庭生活にも満足できなくなるのです。
つまり,おどろくべきことですが,人はものごとを欲することに専心するあまり,自分が楽しむのを忘れてしまうこともあるのです。そうなると必然的に不満がたまりますが,そういう人は,いわゆる世間一般の(そして進化の)基準からすれば,成功者である場合が多いものです。人の行動は,欲望と,なにが幸せをもたらすかについての思いこみによって動かされます。この思いこみは実情とは食い違っていることがあるのです。人間は夢の実現がもたらす幸せを過大評価し,欲していない状況を乗り切る能力については過小評価することを思いだしてください。そのような誤りを訂正するべく経験から学べるかどうかは,残念ながら保証されていません。なぜならこの思いこみは,心に充足感を与えるためではなく,自己のDNAを複製するために設計されているからです。
ダニエル・ネトル 山岡万里子(訳) (2007). 目からウロコの幸福学 オープンナレッジ pp.174-175
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