知識は力になる。だがその力よりはるかに危険なのは,知識を抑制することだ。それだけはやるべきではない。結局はわが身が危うくなる。世界の人口を一夜で数千分の一に減らし,農民から搾取する経済に戻るつもりがあれば別だが。科学を支配下に置こうとして悲惨な結果を招き,国の発展が頓挫した例は枚挙にいとまがない。
いちばん有名な例として,ロシア生物学の歴史を振り返ってみよう。1917年にボリシェヴィキが政権を握った当時,ロシアの遺伝学は欧米より少なくとも10年は進んでいた。ところがマルクス本人はともかく,マルクス主義者たちは遺伝学というものに懐疑的だった。進化の発生論は,教育と経済で社会を変革する可能性——マルクス主義革命の大義名分だ——を損なうものと見なされていたのである。遺伝学の教授たちは閑職に追いやられ,ロシア生物学はトロフィム・ルイセンコなる人物の手にゆだねられた。ルイセンコは,植物を新しい環境に適応させるにはストレスを与えるしかないと信じていた。そのせいでロシアでは大不作が起こり,農民は飢饉に直面した。そのあいだに西欧の研究者は着々と成果を積みかさね,1930年代にはルイセンコ以前のロシアのレベルに追いつき,追いこした。それからは差は開くばかりだった。
ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.167-168
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