私はいつも思うのだが,科学の世界でも二分法があまりに氾濫している。光の性質をめぐる有名な論争もそうだ。光は粒子なのか,それとも波なのか?19世紀には,地質学界で天変地異説と斉一説が鋭く対立して大論争になった。天変地異説はフランスの分類学者ジョルジュ・キュヴィエが唱えたもので,洪水や火山噴火といった環境の大激変がそれまでの生物を根絶やしにし,その後新しい生命が出現したというもの。いっぽう斉一説は,地質的な現象は長い時間をかけて少しずつ起こっていったとする考え方だ。こちらの中心人物は,イギリスの地質学者であり,ダーウィンにも影響を与えたサー・チャールズ・ライエルだった。
生理学の世界でも似たようなことがあった。19世紀なかば,イギリス人のトマス・ヤングとドイツ人のヘルマン・フォン・ヘルムホルツが,いまではおなじみの「色覚三原色説」を提唱した。その後の研究で,赤・緑・青の三原色それぞれに反応する錐体細胞が網膜にあることが確認され,この説は正しいことが証明された。ところが数十年もたって,ドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングが,実験結果をもとに「反対色説」を唱えた。視覚システムは青と黄,赤と緑という組みあわせで色を認識しているというものだった。
ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.182
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