我が国の法廷の判断はどうも感心できない,とラプラスは考えていた。法医科学はまだ存在しなかったから,どこの法廷でも証人の証言だけが頼りだった。ラプラスは,ある出来事に関する証言を取り上げて,証人や判事が正しい確率,欺かれている確率,単にまちがえている確率を求めた。糾弾されている人物が有罪であるという事前確率を五分五分にして,陪審が誠実である確率は少し高くした。それでも,8名の陪審が単純な多数決をとった場合,まちがった判断を下す確率は256分の65で,4分の1を超えていた。このためラプラスは数学の観点からも宗教的な観点からも,啓蒙運動の最も急進的な要求だった死刑廃止に賛同した。「これらの過誤を埋め合わせられるという可能性は,死刑廃止を求める哲学者たちにとって最大の論拠である」ラプラスはまた,矛盾する証言について法廷が判断しなければならない場合や,証言のたびにその信憑性が下がっていくようなより複雑な事例にも自分が発見した法則を応用した。ラプラスにすれば,これらの問題を見れば,聖書の福音書に見られる十二使徒の叙述も信ずるに足りないことがわかるはずだった。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.63-64
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