フィッシャーは,いかなる質問も自分への個人攻撃ととったが,火のついたかんしゃくが破滅のもとになりかねないことは,本人も気がついていた。同僚のウィリアム・クラスカルは,フィッシャーの生涯は「科学を巡る戦いの連続で,科学者の会合や科学論文で一度に複数の戦いを行うことが多かった」と述べている。ベイズ派の理論家ジミー・サヴェッジは,基本的にフィッシャーの仕事ぶりを共感を持ってみていて,「ときとして,聖人でもなければ水に流せないような侮辱を表明することがあった。……フィッシャーは……独創的で正しくて卓越していて有名で尊敬される存在になりたいと,誰よりも強く望んでいた。そして,かなりのレベルでこれらの願いをすべて成し遂げたが,決して心やすらぐことはなかった」と述べている。フィッシャーがいらいらしたのは,ひょっとすると1つには,統計を巡る多くの事柄で自分が正しかったからなのかもしれない。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.96-97
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