ネイマン陣営とフィッシャーの追随者たちとの諍いは,1936年には学界全体が注目する事件になっていた。両陣営は,ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの同じ建物の別のフロアに陣取っていたが,決して交わることはなかった。ネイマンのグループはコモンルームで3時半から4時15分まで紅茶を飲み,フィッシャーのグループはそのあとで中国茶をすすった。この2つの陣営は,じつに些細なことでもめた。統計学部の建物には飲み物がなく,日が落ちると黒板が読めなくなるくらい電灯が暗かった。そのうえ暖房もお粗末で,冬になると建物のなかでもオーバーを着るくらいだった。
両方のグループに縁があったジョージ・ボックス(エゴン・ピアソンに師事し,ベイズ派になり,フィッシャーの娘と結婚した)によると,フィッシャーとネイマンは「ひじょうに意地悪にもなれれば,ひじょうに寛大にもなれた」ネイマンが意思決定に関心を示していたのに対して,フィッシャーは科学的な推定のほうに興味があったので,両者の方法論も応用のタイプも異なっていた。双方ともに自分が扱っている問題にとって最良のことを行っていたにもかかわらず,どちらも相手のしていることを理解しようとしなかった。当時の統計学界には,この状況を表現した有名ななぞなぞがあった。曰く,「統計学者の集団を表す集合名詞は何か」答えは「口論」。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.104-105
PR