厳密にいうと研究室で働く人々はp値を使うことで,実験で得られた結果からある仮説を反証する統計的に有意な証拠が得られたと言明できる。ただし,そういえるのは(その仮説の下で)その結果(あるいは,もっと極端な結果)が偶然のみによって起きた確率[=p値]がきわめて小さい場合に限られる。
ジェフリーズは,頻度主義者たちが起きる可能性はあっても実際に起きていない結果についてあれこれ考えるのを見て,じつに奇妙な話だと思った。自分だったら,地震で起きた津波の到達時間に関する情報をもとにして,特定の地震の震央に関する自分の仮説が正しい確率がどれくらいになるのかを知りたいところだが……。なぜ結果でありえたが実際には起きていない事柄を拠り所にして,仮設を捨て去らねばならないのだろう。1つの実験を何度でもランダムに繰り返す——というか,繰り返せる研究者はまれで,これを批判して「架空の反復」と呼ぶ者もいるくらいだった。ベイズ派にとって,データはあくまでも固定された証拠であって変わるはずがない。それに,どこからどう考えてもジェフリーズが特定の地震を繰り返すことは不可能だ。しかもp値はデータに関する言明であって,ジェフリーズが知りたいのは,データを前提とした仮説の正しさに関する言明なのだ。かくしてジェフリーズは,観察されたデータだけに基づいて,その仮説が正しい確率をベイズの法則を用いて計算すべきだと提唱することとなった。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.112-113
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